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コラム

演奏権を侵害した人は誰なのか

投稿日

2023.07.10

投稿者

畑田将大

カテゴリー

その他の民事・家事事件

音楽の著作権には「演奏権」というものがあり、公で演奏するためには著作権者の許諾が必要となります。

今回はこの演奏権について、誰が演奏権の侵害者の主体であるかを判断した令和4年10月24日最高裁判例について解説していきたいと思います。

 

第1 演奏権とは

1 著作権法の規定

著作権法第22条では、「著作者は、その著作物を、公衆に直接見せ又は聞かせることを目的として・・・演奏する権利を専有する。」と規定されております。

ここでいう「著作者」の典型例は、作詞・作曲家です。「直接」と記載されておりますが、CDを再生したり、電気通信設備を用いて音楽を伝達したりすることも、ここでいう「直接」演奏したこととなりえます。

なお、公表された作品については、営利目的がなく、聴衆又は観衆から料金を受け取らなければ、演奏権侵害とはなりません(著作権法第38条第1項)。

2 侵害主体者の理論

演奏権で問題となる場面は、例えば動画配信サイトを通じて他人の制作した楽曲を歌ってみたり、楽器を用いて演奏したりといったものが典型的です。

もっとも、このように自分自身で演奏する場面だけでなく、他人が演奏する場面でも演奏権侵害が問題となる場合があります。

この点について判断した判例が、クラブ・キャッツアイ事件(最高裁昭和63年3月15日民集42巻3号199頁)です。

この判例は、クラブでカラオケを利用している客の歌唱行為は演奏権の侵害であり、この演奏権を侵害している主体は誰なのかが争われた事例です。

そして判例は、クラブの経営者が侵害の主体であると認めました。

細かい説明は割愛しますが、当該判例は、客に歌唱を勧め、他の客の面前で歌唱させるなどして、店の雰囲気作りをし、客の来集を図って利益をあげることを意図しているスナックの経営者が、客の歌唱の主体、すなわち演奏権侵害の主体であると認定しました。当該判例では、①店側の管理・支配性と②営業上の利益性に着目して判断されております。この理論は、通称「カラオケ法理」と呼ばれており、多くの裁判例で引用され、演奏権侵害について判断がなされてきました。

 

第2 令和4年10月24日最高裁判例

これまでは、カラオケだけでなく、その他の事例でも「カラオケ法理」が用いられておりましたが、令和4年10月24日最高裁判決では、「カラオケ法理」をそのまま適用せずに判断がなされました。

 1 事例概要

当該事例では、音楽教室が生徒から受講料をもらいながら楽器の演奏などを教えていたところ、この生徒の演奏は音楽教室が主体的に演奏していると評価すべき、すなわち音楽教室が楽曲を利用して対価を得ているのであるから、音楽教室がJASRACの管理している著作物の演奏権を侵害しているのではないか、という点が大きく争われました(その他第1審からいくつもの争点があったのですが、本稿での説明は演奏権侵害の主体は誰なのか、という争点に限定いたします)。これはどういうことかというと、仮に生徒の演奏についても音楽教室側に主体性が認められれば、音楽教室は生徒が演奏していることについても著作権使用料をJASRACに支払わなければならないことになるのです。

2 原審の判断

第1審は音楽教室側が認められませんでしたが、控訴審では音楽教室の主張が一部認められた内容でした。そこで、音楽教室及びJASRACがそれぞれ上告しました。

上告したJASRACは「生徒は被上告人らとの契約に基づき教師の強い管理支配の下で演奏しており、被上告人らは営利目的で運営する音楽教室において課題曲が生徒により演奏されることによって経済的利益を得ているのに、被上告人らを生徒が演奏する本件管理著作物の利用主体であるとはいえないとした原審の判断には、法令の解釈適用の誤り及び判例違反がある」という内容を上告理由に挙げております。上記「カラオケ法理」から考えれば、JASRAC側の主張も一理あると思われます。

3 最高裁の判断

もっとも、最高裁は「カラオケ法理」を意識はしつつも、控訴審の判断を維持しました。すなわち、音楽教室は生徒の演奏について主体性があるとはいえないと判断したのです。

最高裁は、「演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。」と判断基準を示しました。これは、これまで示されてきた「カラオケ法理」よりも、幅広く事情を考慮して主体性を検討できる基準ともいえます。

そして最高裁は、「被上告人らの運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない。そして、生徒の演奏は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまる。また、教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない。」と判示しております。すなわち、①生徒の演奏は利益目的で行われるものではなく技術向上のために行われているため著作権者の演奏権が及ばない、②音楽教室の教師の演奏(録音の再生も含む)はその生徒の演奏を補助しているに過ぎない、ということのようです。

 

第3 まとめ

上記最高裁判例は、これまで多くの裁判例で利用されてきた「カラオケ法理」ではなく、いくつかの事情を考慮して演奏の主体性を判断する基準を用いました。

これにより、「カラオケ法理」により広く演奏権が及ぶと考えられたためにJASRACへのライセンス料や著作権侵害の危険性から萎縮してきた、「楽曲を用いるビジネス」を大きく発展させる可能性が出てきました。

もっとも、上記最高裁判例の基準も曖昧な表現を含んでいるものであるため、今後の裁判例での運用に注目していきたいところです。

 

以上