1 パワーハラスメント(以下、「パワハラ」といいます。)については、日髙太一弁護士が9月28日付けのコラムですでに述べたとおり、今般、法制化がなされ、企業としてはパワハラを防止する努力がこれまで以上に求められることになります。
パワハラを許さない企業の風土・文化を作るうえで、従業員一人ひとりの意識改革は欠かせません。そのためには、パワハラに特化した教育・研修の機会を設けることが不可欠といえるでしょう。
当事務所では、企業のパワハラ防止研修の講師をご依頼いただくことがあります。研修では、従業員の方が陥りがちな誤解を指摘して正しい認識をもっていただくことが大切だと考えています。典型的な誤解としては次のようなものがあります。
2 ⑴ 誤解①「部下から上司に対する言動はパワハラとはならない」。
たしかに、パワハラの定義では「優越的な関係を背景とした言動」とされています。典型的には上司から部下への言動がこれに当たりますが、部下から上司に対してもパワハラとなるケースはあります。
たとえば、特定の部署に長く在籍し当該部署の業務に精通している古参の社員が、着任したばかりの新任の所属長に対し知識の格差に乗じて嫌がらせをするといった場合です。このように、経験や専門知識、人間関係といった要素も「優越的な関係」と解されることになります。役職上の上下関係にはなくても、つまり同僚どうし、部下から上司に対してであってもパワハラは起こりうることを認識しておかないと、パワハラを見逃すことになってしまいます。
⑵ 誤解②「叱責の内容が正しかったり,悪意がない場合はパワハラとはならない」。
厳しい指導が直ちにパワハラになるわけではありません。とくに、危険をともなう作業やミスが致命的な損害となるような現場では、厳しい言葉が飛び交うことは十分想定されます。とはいえ、叱責することやその内容がいかに正しかったとしても、そのやり方に問題がある場合(たとえば執拗な叱責だったり、相手の人格を否定するような場合が考えられます)パワハラとなることがあります。また部下を育てるための「愛の鞭」という言い分も、パワハラへの抗弁とはなりえません。
⑶ 誤解③「『死ね』はアウトだけど『バカ』はセーフ」
たしかに裁判例のなかでは「死ね」など相手の人格や尊厳を強く否定する暴言があったと認定された場合「それ自体パワハラといえる」と判示したものもあります(札幌高判平成25年11月21日判タ1419号106頁)。しかし、これは「バカ」程度の暴言ならセーフという意味ではありません。具体的な言辞も重要ですが、その頻度や継続性などもパワハラ認定の大切なポイントです。一つひとつの言葉は激しいとはいえなくても、それが執拗になされた結果、被害者が多大な精神的苦痛を被りパワハラとされることもあります。
部下や後進の指導に苦慮している方ほど、パワハラ研修で「ここまでならセーフ」という安心材料を得たい傾向にあるようです。その気持ちはわかるのですが、パワハラ事例を都合よく反対解釈して、形式的にその事例とは違うからセーフだと考えるのであれば危険です。車の運転と同様、「大丈夫だろう」という安易な思い込みを捨て「パワハラになるかもしれない」という危機感を持っていただくことが肝要です。
3 こうした誤解を改めることのほかに、私が研修でよくお伝えする心構えとして、「他人が自分と同じだと思わない」ということがあります。当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、案外難しいものです。
まず、能力の点です。「1を聞いて10を知る」ことができる能力の高い方は、得てして部下や他の職員も自分と同じくらい優秀だと勘違いしていることがあります。「俺ができるんだから、お前もできて当たり前だ」といった具合です。
しかし、当然ながら能力は人によってバラつきがあります。10を知るのに5を教えないといけない人、あるいは10教えてはじめて10できる人もいます。 これに気づかず指導を行うと、自分では意図しなくても過剰な要求や叱責につながる危険があります。
次に、精神的な強さも人により異なります。「俺はこのくらい言われても平気だから、あいつに同じことを言っても大丈夫だ」と考えていると、やはり意図せずに過剰な叱責となってしまうことがあります。
「俺が若いころは、先輩から怒鳴られながら仕事を覚えたものだ」などの昔話も禁物です。郷愁に浸るだけならよいですが、これを業務や指導に持ち込むと一発アウトとなりかねません。職歴の長い方には「教えられたように教えてはいけない」ことも銘記していただく必要があります。
以上