1 英国保守党党首選挙で、トラス氏はインフレ対策として大減税政策を主張し、これに対し,当時のジョンソン内閣の財務大臣であったスナク氏は、インフレ退治の前の減税は時期尚早、インフレ対策としては、限られた財源を考慮して、年金生活者や低所得者に対する救済対策を主張した。
私は、減税は富裕層優遇、さらに減税はインフレの火に油をそそぐようなものになる心配があったので、スナク氏に共感を覚えた。
2 結局、トラス氏が保守党党首に当選し、崩御直前のエリザベス女王に英国歴代3人目の女性総理大臣に任命されて、9月6日に内閣を発足させた。
そして、早速9月23日、トラス内閣は、減税総額5年間で実に約450億ポンド(約7兆円)の大規模減税と財源となる英国国債大増発の「成長プラン」を発表した。
3 発表後、同日英国金融市場は大動揺。通貨ポンド安、債券安、株安のトリプル安。
借金頼みの減税がインフレの火に油をそそぎ、物価上昇が加速化することを市場は恐れて、通貨ポンドは売られ、財源対策の国債大増発による手持ち国債の価格下落による評価損を恐れて、国債が売られて金利は4.5%に急騰し(債券価格としては下落)、株も売られて大幅下落。
4 その後も、通貨ポンド売りや国債売りの勢いは収まらず、9月26日、イングランド銀行は、11月3日の次回金融政策委員会で対応するとの緊急声明を出した。
同行は、トラス内閣の「成長プラン」発表の前日9月22日に、0.5%利上げと10月上旬、その保有国債の市場での売却をすると発表していたばかりで、さすがにわずか4日後の緊急利上げには決まりが悪かったのかも。
これに対し、即時対応を期待した市場は、次回会合を悠長に待ってくれず、いよいよ通貨ポンド売りが激しくなり、イングランド銀行もたまりかねて,9月27日には、同行のベイリー総裁が、次回会合を待たずに「緊急利上げ」も辞さずと発言して市場を沈静化しようとした。
5 ところが、翌日、9月28日、イングランド銀行は、英国国債金利急騰(債券価格は下落)を受けて、残存期間20年超の英国国債を対象に10月14日までの時限的なものとはいえ、市場安定に必要なだけの金額無制限買入れを実施するとしたのである。
さらに、9月22日発表したばかりの来る10月上旬予定の同行の保有国債の市場での売却開始を10月31日まで延期するとした。
私は、この9月28日のイングランド銀行の突然の政策変更に驚き、イングランド銀行は狂ったのかとさえ思った。
なぜならば、9月22日から9月27日までのイングランド銀行の動きとあまりにも違っていたからである。
イギリスの最近の消費者物価指数は、実に10.1%の二桁に達して、大インフレと呼ぶべきで、これを沈静化するのには、利上げは絶対必要。9月22日のイングランド銀行の0.5%利上げの決定も、米国FRBの0.75%利上げに比べれば、利上げ幅に物足りないとの不満はあるものの、正しい政策といえる。
また、インフレを抑えるために保有国債を市場に売却して、ポンドマネーを市場から吸い上げる政策も正しい。
これに対し、9月28日発表の英国国債無制限買入れや保有国債市場への売却の延期も、いずれも期限限定とはいえ、利上げや保有国債売却などと違って、市場にポンドマネーを流し込む政策である。
まるで、イングランド銀行は、期限限定とはいえ、自動車のアクセルとブレーキをほとんど同時に踏み込むようなものであり、私としては不可解というほかなかったからである。
5 私は、日経新聞2022年(令和4年)9月30日の「『年金危機』瀬戸際の回避」の記事を読んで、ようやくふに落ちた。
イングランド銀行の9月28日の突然の政策変更は、英国の
多くの年金基金が破綻する事態を防ぐためだったとわかったからである。
超低金利時代が続き、英国の多くの年金基金は、将来の年金受給者の老後の生活資金を確保するためには、伝統的な債券や株の通常の運用では足りず、変動金利を払って、固定金利を受け取る金利スワップというデリバティブ(金融派生商品)を活用してなんとか全体としてのリターンを確保しようしたものである。
くわしい経過は別に述べるが、9月23日のトラス内閣の大減税と財源対策の英国国債の大増発による「成長プラン」の発表に金融市場が動揺して、英国国債利回りが急騰(債券価格は急落)して、多くの年金基金などが運用する30年物国債は3%台後半から一時5%強まで跳ね上がって、評価損が膨らみ、担保価値も下がって、取引相手の金融機関からマージンコール(追加担保の差し入れ要求)を突きつけられて、資金枯渇の破綻の恐れに陥った。
そこで、イングランド銀行は、年金基金の破綻を防ぐため、英国国債の大量買い支えと保有国債の市場売却の延期という突然の政策変更を行ったものである。
6 我が国日本でも、超低金利時代があまりにも長く続き、普通預金利息のあまりの低さに老後資金確保に不安を感じる高齢者(いわゆる老後資金2000万円問題)の中には、高利回りのうたい文句に惹かれてデリバティブ(金融派生商品)に手を出して被害に遭う例が多いという話を良く聞く。
また30年の長期の住宅ローン融資を受ける人の約7割が固定金利でなく、変動金利を選ぶということである。
これらの人々と今回の英国の年金基金とは無関係といえるだろうか?
確かに、英国年金基金の運用担当者はプロであり、金利スワップというデリバティブ(金融派生商品)のリスクを十分理解していたはずであるのに対し、日本の高齢者や住宅ローン利用者は金融の素人で金融リスクの知識も十分でないという違いはある。
しかしながら、英国の年金基金も、日本の高齢者や住宅ローン利用者も長く続く超低金利がもたらす危機に直面し、又はこれから直面するのではないかと、私には思えてならない。
別の機会に超低金利時代における危機について考えてみたいと思う。
何かご質問や相談があれば、当職所属事務所(電話093-967―1652)にお電話下さい。
以 上